東京パラリンピックが8月24日に開催されました。
障害のある、トップアスリートが4年に一度だけ出場できるスポーツの祭典となっています。
メダルを獲得する、日本人選手が続々と現れてきています。
そんな中、陸上競技からトライアスロンに転向された谷真海選手に注目が集まっています。
今回は谷真海選手にフォーカスしてまとめていきましょう。
谷真海選手のプロフィール(トライアスロン)
・谷真海選手のプロフィール
名前 | 谷真海(たに まみ) |
生年月日 | 1982年3月12日 |
年齢 | 39歳 |
出身 | 宮城県 |
所属先 | サントリー |
種目 | 陸上競技→トライアスロン |
谷真海選手の経歴(トライアスロン)
・谷真海選手の経歴
2001年 | 骨肉腫発症 |
2002年 | 右足膝下切断(義足) |
2004年 | 早稲田大学卒業 |
2004年 | アテネパラリンピック出場(走り幅跳び) |
2008年 | 北京パラリンピック出場(走り幅跳び) |
2012年 | ロンドンパラリンピック出場(走り幅跳び) |
2014年 | ご結婚 |
2016年 | 陸上競技を引退後トライアスロンに転向 |
2021年 | 東京パラリンピック出場(トライアスロン) |
まず、谷真海選手の経歴を紹介する前に谷真海選手は2001年の冬に骨肉腫を発症し右足膝下を切断している義足の選手であるという事です。
・骨肉腫について『日本では人口100万人に1人~2人発症する悪性腫瘍』の病気になります。
https://www.ncc.go.jp/jp/rcc/about/bone_sarcomas/index.html←骨肉腫について
ここからは谷真海選手の経歴について紹介しましょう。
中学校の時に陸上競技を始めた谷真海選手。
1500mで県大会に出場する程の実力の持ち主だったそうです。
早稲田大学に入学後は『応援部チアリーダー』として活躍されていました。
その冬に骨肉腫を発症して義足生活になった谷真海選手。
懸命のリハビリと治療を経て、2003年1月から競技を再開されました。
そして2004年に走り幅跳びでアテネパラリンピックに初出場されています。
そこから北京・ロンドンと3大会連続のオリンピック出場を成し遂げています。
2014年に結婚をした谷真海選手は、2016年にトライアスロンへの転向を表明され2020年の東京パラリンピック代表に4大会連続で選ばれました。
諦めずただひたすら立ち向かっている、谷真海選手の原動力は一体何なのか気になりますよね。
谷真海選手が東京パラリンピックで躍動される姿を楽しみに待ちながら皆さんで応援しましょう。
谷真海選手の世界が感動した8年前のスピーチとは?
谷真海選手の世界が感動した8年前のスピーチがいまでも話題になっています。
それは、2013年9月のIOC(国際オリンピック委員会)の総会でプレゼンテーションを谷真海選手が任されたスピーチの事です。
今でも忘れる事がない、『スポーツの力を訴えた笑顔あふれるプレゼンテーション』でした。
パワー・オブ・スポーツ(スポーツの力)という言葉を谷真海選手が強く語った姿が今でも印象に残っています。
世界に感動を与えた谷真海選手のスピーチ。
陸上競技からトライアスロンに転向しても、世界で戦ってる谷真海選手をこれからも応援したいです。
谷真海選手の結婚した旦那は?
谷真海選手の結婚された旦那さまについて調べてみました。
2014年に東京招致活動で知り合った昭輝さんとご結婚されています。
2015年には子供も産まれ、山あり谷ありの競技人を振り返り「やめなくて、よかった」と笑顔をみせていたそうです。
ご結婚されてからも競技と私生活の両立を頑張っている谷真海選手には本当にスゴイなの一言です。
谷真海選手に対するネットの反応は?(トライアスロン)
谷真海選手に対するネットの反応を調べてみました。
やはり、良い反応ばかりのツイートが多く悪い口コミは見当たりませんでした。
8年前のスピーチでの姿、人柄もそうですが誰もが谷真海選手を応援したくなる人望だからこそのネットの反応だと感じました。
まとめ
谷真海(トライアスロン)のプロフ・経歴がスゴイ?!8年前のスピーチを振り返りながら、結婚・旦那について調査!をしました。
まず、 8年前の谷真海選手のスピーチは日本国民の皆さんの心に残っていると改めて感じる事が出来ました。
8月29日の『トライアスロン 女子個人 PTS5』に谷真海選手が出場される予定となっています。
谷真海選手が出場する姿を楽しみに待っていましょう。
最後まで読んで頂きありがとうございました。