【訃報】瀬戸内寂聴さん逝去。僧侶・作家としての半生のまとめ

2021年11月9日に作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。

2日後の11日に瀬戸内寂聴さんのインスタグラムが更新され訃報が伝えられました。

突然の訃報に世間からは驚きの声が上がると同時に追悼の声が寄せられました。

今回はそんな瀬戸内寂聴さんの追悼と半生をまとめました。

もくじ

瀬戸内寂聴さん逝去

2021年11月11日1時頃、瀬戸内寂聴さんのインスタグラムが更新され訃報が伝えられました。

作家・僧侶の瀬戸内寂聴は、2021年11月9日、永眠いたしました。

享年99。先月より体調不良のため、入院、加療しておりました。

葬儀は近親者のみで執り行います。みなさまにおかれましても、静かに瀬戸内を見送りくださいますよう、何卒お願い申し上げます。

恐縮ながら、お香典・お花はご辞退させていただきます。

生前のご厚誼に感謝し、謹んでお知らせ申しあげます。

誠に勝手ながら、来庵はお控えくださいますよう、どうかよろしくお願い申し上げます

瀬戸内寂聴さんInstagramより

2014年8月に脊柱圧迫骨折を罹患し、その後の検査で胆のう癌が発見されてから闘病生活を送っていた瀬戸内寂聴さんですが、つい3か月前の8月30日には定期検診のために外出した写真をアップしていました。

この姿が瀬戸内寂聴さんの最後の姿になるとはこの時点では誰も思いもしなかったでしょう。

瀬戸内寂聴さんの半生

瀬戸内寂聴さんの幼少期

瀬戸内寂聴さんは三谷晴美という名前で、徳島県の仏壇店を営む三谷豊吉・こはる夫妻の次女として生まれました。

身体が弱く、よく読書していたと言います。

瀬戸内寂聴さんの学生時代

義務教育を終え、高校は徳島高等女学校に進学してから、父が従祖母である瀬戸内いとさんと養子縁組をしたために三谷から瀬戸内姓になりました。

大学は東京女子大学に入学しました。

まだ在学中の1942年に20歳で酒井悌さんとお見合いして婚約し、翌年2月に結婚して10月に夫の赴任先である中国の北京に渡りました。

瀬戸内寂聴さんの社会人時代

1944年に女の子を出産、終戦と共に8月に徳島にもどります。

その後、夫の教え子である21歳の文学青年と不倫しその事を夫に打ち明けた過去があります。

旦那さんは激怒し東京に瀬戸内寂聴さんと娘を連れていきますが、その影響でますます文学青年への思いが強くなってしまい、とうとう2人を置いて京都の文学青年に会いに行ってしまいます。

再び出会いを果たしますが、その後あっさりと破局してしまい、孤独の身となってしまいます。

その後1959年、妻子持ちである作家の小田仁二郎さんに自身の執筆した原稿を見てもらっているうちに恋愛感情が芽生え不倫関係となります。

はじめから、私は彼に妻子のあることは知っていたし、その人たちの場にふみこもうなどとは考えてもいなかった。

彼を死なせまいとみはることが私の生きがいになっていた。

瀬戸内寂聴著「夏の終わり」より

結局小田仁二郎さんとも別れ、1966年に作家の井上光晴さんと高松へ講演旅行に行き恋愛関係になります。

しかし井上光晴さんも妻子持ちであったためこちらも不倫関係で、これは7年間も続いたようです。

瀬戸内寂聴さん自身この不倫体質に悩んでいたようで、1973年に井上光晴さんとの関係を絶つためにも出家します。

出家した後も僧侶として公演に出たり、執筆活動を続けたりとメディアで見かけることもしばしばありました。

瀬戸内寂聴さん逝去に対するSNSの反応

瀬戸内寂聴さん逝去と半生のまとめ

僧侶としての経験や文才を活かして多くの人を悩みを解決してきた瀬戸内寂聴さんですが、

僧侶になる前はとても波乱万丈な人生を歩んできました。

この度逝去されましたが、その影響力や残してきた教えは書物としても語り継がれて行くことでしょう。

ご冥福をお祈りすると共に、どうか天でも安らかに眠って欲しいですね。

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